「電子は質点か場か」 質議・討論





Q1

A  
 
 



 電子を場ψ(x,t) で表すのは、Schrodingerの波動力学と同じではないか。何処が違うのか。
 本記事で言っているのは場の古典論であり、 波動力学は質点の量子力学であるから、考え方から計算法まで全く別のものである。たとえば波動関数ψの意味が全く異なる。波動力学では|ψ(x)|2は、電子が位置xに見出される確率密度である。場の古典論では電子の位置などという考えはない。|ψ(x)|2 は電荷密度である。この件についてはつぎの「質点と場と確率解釈」でより詳しく述べる。また下述Q3の項参照。


Q2

A  





 |ψ(x)|2 を確率密度でなく、実在の電荷密度と解釈するのは矛盾を来たし、量子力学初期の段階で否定されたのではないか。 
 波動力学(量子力学の1形態)では確かにその通りである。位置xのほかに物理量(スピンのようにx空間と直交するものは別)を矛盾なく導入するのは困難である。一方場の理論では電荷保存が成立するならば電荷密度を矛盾無く定義できる。位置xに加えて物理量を定義することはできない。xの代わりにψを用いればよいのである。この件も「質点と場と確率解釈」で少し述べる。Q3も参照。


Q3
A 
























 第7節に、Schrodinger 方程式は古典論だとあるが、その説明を。 
 古典論、量子論の定義の問題である。一般には Planck の h を含むものが量子物理で、h → 0で残るものが古典物理であるが、これを少し変えたい。巨視世界と微視世界を分けているのは Avogadro 数 N である。O(1/N) の量を扱うのを量子物理、N → ∞ で生き残るのを古典物理とする。(量子(quantum) は最小単位という意味で、微小とは限らない。ディジタル録音の PCM(pulse code modulation) も量子化である。PCM などが幅を利かすようになると、量子物理も改名を迫られるかもしれぬ)。量子的(O(1/N)の)物理定数として、Boltzmann の k, Planck の h、素電荷 e、電子の質量 m などがある。
 Schrodinger方程式で N → ∞(h →0) にすると 0 になってしまうが、両辺を h で割ると定数は(e/h),(m/h) の組み合わせで入っているので、N → ∞でも有限で残る。すなわち電子の古典方程式である。
 光の物理には3つの段階がある。幾何光学、波動光学 (Maxwell の電磁気学)、量子光学(第2量子化された電磁気学。巷の量子光学は少し違った意味であるが、こっちが改名すべきか)である。平行して電子でも第1段階の粒子物理としてNewton力学、第2段階の波動物理あるいは古典物理としてSchrodinger の一体問題、第3の量子物理として第2量子化された電子場(電子の多体問題)がある。粒子物理と波動(古典)物理を分けるのは波長の長短であり、古典場の理論と量子場の理論を分けるのは一体か多体問題か、である。どういうわけか(多分歴史的理由)電子の古典論が無視、あるいは量子論と混用されてきた。それを、Maxwell の電磁気学と同列の地位を与えよう、というのが著者の目的である。
 そこで Q1 に戻れば、両者の違いは上の第2段階か第3かである。Q2 については、古典電磁気学でエネルギー密度、Poynting ベクトル(運動量密度)などが定義できるのと同様に電子の電荷密度が矛盾無く定義できる。


Q4

A 












 Bohrの振動数条件や光電効果などの「量子現象」が古典論で説明でき、量子力学は要らないという主張は考え難い。 
  量子現象に量子力学が要らないと言うことはないだろうが、ここでの主張は、光電効果等は量子現象ではなく、古典物理であるということである。それも考えにくいとしたら不幸なことであるが、電子は粒子であるという先入主によるものだろうか。本稿に対し「大変面白い」「目から鱗の思い」などの賛辞や、下記Q6,Q7のような肯定的意見も寄せられているので、読者全員が考え難いとは思っていないことが分かる。
 Q3項の議論を用いる。電子による光の放出、吸収に対するBohrの条件は電子波と電磁波の振動数の間の関係であり、N→ ∞で全く変わらない式である。光電効果の場合、電子の振動数の代わり阻止電圧を用いれば関係式に(e/h)が現れ、やはり古典関係式である。  もっとも弱い光を当て、電子が1個飛び出すのをカウンタで捕らえる実験をするならば、古典電子場ではすまない。これは観測の問題であり、次稿「・・・確率解釈」で少し議論する。


Q5

A  





 電子が複素数の場で表されるのが何となく神秘的であるが、何故複素場なのか。 
 本稿3節の終わりあたりからちらちら書いたことだが、複素場ならそれから容易に保存する電荷、電流密度を作ることが出来る。複素場でなくてもよい。2成分でその間に平面回転不変性(SO(2)対称)があればよいのだが、それは複素数の言葉で言うのが言い回しも式も簡単になる。電子場が複素である理由についてDiracはじめ何人かが意見を述べているが、保存電流を定義すること以外に神秘的な理由はないと思う。


Q6

A 









 霜田光一先生が、光電効果などは半古典理論で説明できると言っているが。 
  霜田先生は光電効果、Compton効果などの説明に光量子は要らないことを示している。全く賛成である。その論文いくつかを「・・・確率解釈」の参考文献に掲げる。先生は電磁場は古典論だが、電子は波動力学(量子論)で扱うので半古典論である。しかし観測の問題をのぞけば電子を古典波動論でやってもよい。つまり、光電効果などは純古典論でも、半古典論でも、純量子論でも説明できるのである。電磁現象で量子論が絶対に必要なのは光の自発的放射(spontaneous emission)だけだろうか。Planckの式もこれから出てくる。自発的放射を、電磁場の零点振動による誘導放射(霜田先生によると完全に一致はしない)とするならば、電磁場に真空揺動だけあればあとは量子論は要らないか?もちろん観測の問題はある。


Q7

A  

 光電効果に光量子は要らないという論文をだいぶ前に読んだことがある。 
  霜田先生にLambの論文を教えていただいたので「・・・確率解釈」の参考文献に掲げる。このほかにも同趣旨の論文があるかもしれぬ。


Q8


A  


 量子力学の解釈の問題は、考えればいくらでもやることがあるのだが、結局は同じ答えになるものである。歳とってほかにやることがなければやるのもよいが、あまり建設的ではない。
 やっていることは単なる解釈の問題ではなく、考え方、計算法を改革するつもりである。同じ答えを導くにしても、簡単に、きれいに出そうとするのは物理だと思う。たしかに物理から離れた空論であってはならない。

Q9
A 

「量子物理」の本はいつ出来るのか。  
 まだ書き始めていない。(’02年7月)



ー つづく ー


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