高エネルギー物理の将来 改訂稿


                  §0. まえがき

 最初の原稿(高エネルギー物理の将来 初稿)は去年書いたのですが、編集委員が、内容が悲観的すぎる、これを読んだ学生が絶望して高エネルギー物理を志望しなくなる恐れがあると言います。私は、根性のある学生は悲観的文章を読んでも、何くそと発憤するのではないかと思いますが、この文が若者の進路志望に水を差すようなことになるならば、それは私の本意ではありません。また年寄りの発言が、消極的、悲観的に偏りがちになるのは事実です。そこで初稿の、高エネルギー物理は行き詰まった、と言う結論を、突破口が見つかって大発展をする、と書き改めました。ついでにあとがきに、若者に対する説教も書きました。§1−4は手直し程度で、§5−8が書き直しです。

 同編集委員は私の将来予想、とくに§6に賛成できないと言う意見でしたが、これは個人的予想であって当たるものではないと断った上で我を通しました。その経緯については「質議・討論」をご覧下さい。







(「現代物理学の歴史」(朝倉物理学大系 第20巻)に掲載予定)






          高エネルギー物理の将来


                                        宮沢弘成

                 §1. はじめに

 20世紀後半に高エネルギー物理はめざましい活躍をした。その50年を振り返り、21世紀に向けての将来の予測を試みる。このような予測は当たるものではない。19世紀末に、物理学ではもうやることはない、終わった、ということが言われたそうである。それが20世紀に量子物理という方向に大発展をしたのであった。行き詰まったと思われたのが思いがけない突破口が見つかるのはしばしばであり、物理は不連続的に進歩するのである。だからといって将来予測をするのは無意味ではない。故(ふる)きをたずねて現状、将来を見渡すのは意味があり、必要なことであろう。

 不連続を承知の上で外挿するのであるから、現状から一義的な予想が出来るはずはない。本稿の将来予想は客観的なものでなく、筆者の主観によるものである。その結論を先に述べれば、21世紀の高エネルギー物理は新しい理論形式の開発によって大発展を遂げるだろう、となる。

 高エネルギー物理とは何か、素粒子物理とどう違うのか。日本では素粒子という言葉になじみが深く、高エネルギー物理は輸入語であるが、両者ほぼ同義である。物質の究極構造を解明しようとする努力である。

               §2.高エネルギー物理の創成期

  高エネルギー物理は、まず量子電磁力学(QED)で始まる。これは高エネルギー実験ではない。マイクロ波分光学の発展により水素原子の微細構造にラムシフトが発見され、それが電磁補正によるものであることがわかった。丁度そのとき日本では朝永振一郎およびそのグループが相対論的場の理論を建設中であり、繰り込み理論によって無限大を処理し、電磁補正を計算できるようになった。これにR. P. Feynmanの図式計算法も加わって、1950年にはQEDは完成する。この理論は驚くほど精確で、後に木下東一郎によって電子の磁気モーメントが e8 項まで計算されたが、実験値と10桁の精度で一致する。

 1950年頃の高エネルギー物理の主役はパイ中間子(パイオン)である。戦後米国各地でシンクロサイクロトロン等強力な加速器が続々と作られた。戦時中のマンハッタン計画成功の褒美として、また核物理が実際に役に立つと思われたので、この方面に潤沢に研究費が支給されたようである。パイオンは宇宙線中に見つかっていたが、人工的に作られるようになった。その性質を解明すべく、各地で実験も理論研究も競争のように行われた。はじめはQEDに倣って結合定数のべき展開で計算したのだが、これは使い物にならなかった。共鳴状態が幅を利かせていたからある。代わって原子核反応でおなじみの、角運動量で部分波展開するという手法が用いられた。こうしてパイオンの場が擬スカラーであること、アイソスピンが保存することなどが確かめられた。

 パイ・核子散乱に対し強力な武器、分散公式が考案され、これにより予言されていた共鳴状態、Δ の存在が確認された。結合定数も 2=0.08と決まった。武谷三男らのグループは核力の周辺部の解析から同じ結論を出した。その後理論的整備も行われ、低エネルギーのパイ中間子論は50年代後半には解明された。パイオンの物理を片づけた加速器群は Δ の仲間を捜す「共鳴捜し」に向かい、一方分散公式は散乱行列(S−行列)理論へと進む。

 同時進行したのがストレンジ粒子の理論である。1948年宇宙線中に既知の粒子では理解できない奇妙な現象が見つかった。日本の理論屋たちはこの問題を取り上げてその解明に取り組み、珍粒子は二個組になって生成されるという正しい結論に到達した。この随伴生成則はその後奇偶則を経てM. Gell-Mannと西島和彦の、ストレンジネスという加算量の保存則に至る。実験的には Ξ ,Ω というストレンジネス - 2, - 3の粒子が発見され、ストレンジネスの保存が確立した。

 もう一つ大きな出来事があった。空間反転のパリティ非保存である。私たちは半ば無意識に自然現象は空間反転で不変、つまり右と左は対称と思いこんできた。しかしT. D. LeeとC. N. Yangは弱い相互作用では空間反転の不変性が確かめられていないことを指摘し、実験してみるとものの見事に左右非対称であった。空間に対する考え方の根本的な変革と大騒ぎであったが、空間反転 P と粒子反粒子反転 C とを組み合わせた CP は不変であることがわかり、やはり空間は(拡張された意味で)左右対称であると納得した。ところがこの CP不変性、これは時間反転での不変とほぼ同義だが、これも僅かであるが壊れているのが見つかった。これの真の意味はまだよくわからない。神がどうしてこのような不自然なことをするのか納得がいかない。

 以上ははじめの10年以内に起こったことである。まことに目まぐるしく、活気に満ちた時期であった。何事も創成期はこのようなものであろうか。あるいは活気に満ちたからこそ分野が生き残ったのであろう。初期には日本の理論グループは世界をリードしていたと言って過言ではない。大体外国には素粒子論と言う言葉もなかったのである。

               §3.成熟期

 創成期の主役の素粒子がパイオンならば、次の主役はクォークとレプトンである。
 ハドロンの複合性が提案されたのは1949年である。E. FermiとYangは素粒子の数が多すぎると言って、パイオンは「素」でなく、核子と反核子の結合状態とした。ストレンジ粒子が沢山見つかるようになると、どうしても複合模型が必要になる。原子核は陽子、中性子の2素粒子で出来ているが、ストレンジ粒子のためにはストレンジネスの素(もと)を持った素粒子が必要である。坂田昌一は陽子、中性子とラムダ粒子を基本素粒子とし、そのスクールは3個の間の対称性SU(3)を考えたのだが、重粒子の分類がうまくいかなかった。

 ところがGell-Mannがうまいことを考えた。同じSU(3)群を使い、基本粒子は3個だが、p, n, Λ ではなく、クォークと称する別のものとする。クォーク3個で核子やその仲間(重粒子)ができているというのである。これで重粒子の分類はうまくいく。中間子はクォーク・反クォークでよい。更に粒子群の質量差を表す公式が実際とよく一致したので、一挙に信用を得た。だがクォークは1/3という半端の電荷を持つ。半端の電荷など見つかってないではないか。しかし量子数に関する限りこの複合模型でうまくいっている。実際に電子、光子等で叩いてみると、重粒子には3個、中間子には2個の影が見える。ハドロン(重粒子、中間子)がクォークで出来ているのにクォークが出て来ないのは何故か。

 クォーク閉じこめは1970年頃の中心課題であったが、次第にクォークはひもにつながれて出てこられないと言うことに落ち着いた。ハドロンはスーパー状態の真空の中に出来た正常な空間の泡の中に納まっている。1個のクォークが飛び出そうとしても、クォークから出た力線はスーパー状態に絞られてひも状となり、一定の力(2,3トン重の大きさ)でクォークを引き戻すので出られない。無理に引くとひもがちぎれて多数の中間子になって飛び出してくる。この現象はジェットと呼ばれ、観測されている。

 1974年にカリフォルニアとニューヨークで新現象が見つかった。J/ψ 呼ばれるものはそれまでの知識では理解できないと思われた。素粒子物理の革命かとも騒がれたのだが、結局は第4番目のクォーク(チャーム、c)で説明されてしまった。まもなく第5番目のクォーク(ボトム、b)も見つかった。

 一方核子と並んで物質のもう一つの構成要素である電子の仲間、レプトンの理解も進んだ。ミューオンは招かれざる客であった。パイオンが核力のため必要だったのに対し、ミューオンはどうしてこんなものを神が作ったのか意味がわからない。調べてみると質量の違いを除けば電子と全く同じ性質である。そこでハドロンで成功したSU(3)対称性に倣って電子、ミューオン、ニュートリノを基本素粒子にしてみたが良いことはなにもない。そのうちにニュートリノは2種類あるのではないかと言われ始め、実験で確認された。ニュートリノと電子が組を作り、ミューオンニュートリノとミューオンが別のもう一つの組を作る。クォークも同じようにアップクォークuとダウンクォークdが組を作り、電子の組と合わせて第1世代の素粒子群である。同じパターンでcとsクォークの組,ミューオンの組が第2世代を作る。こうして基本素粒子を納得のいく形にまとめることが出来、招かれざる客も座るべき席を得た。更にうれしいことは、ハドロンはレプトンとは全く別種のものと思われたのに、クォークレベルに至ってレプトンと同類のものとなったことである。

 小林誠と益川敏英は基本粒子間の弱い相互作用を整理し、第1、第2世代の粒子群だけでは時間反転の不変性は壊れず、壊れるためには少なくとも3世代なければならないことを示した。ハドロン現象で時間反転が壊れているので、第3世代がなければならない。bがその候補だが、もう一つtがなければならない。レプトンの方はタウオンとその相棒ニュートリノで第3世代を形成する。

 高エネルギー物理の実験は加速器が主体である。シンクロサイクロトロンから始まって陽子シンクロトロンへと移行するのだが、大きな革新が二つあった。一つは強収束の原理で、これにより粒子ビームを細く絞り、加速器を小さくすることが出来る。もう一つは大河千尋の衝突型加速器で、加速ビーム同士をぶつけて衝突させるのである。これらにより加速器の(重心系)エネルギーは飛躍的に大きくなり、素粒子物理の進歩を牽引、応援したのであった。

 一方理論形式も進展する。場の理論では現れる無限大を処理しなければならないが、散乱行列(S-行列)理論は観測可能な量だけを扱い、無限大は現れない。これについては精力的に研究され、面白い結果が得られたが、多変数関数論の困難に遭い、場の理論に取って代わることは出来なかった。

 この頃場の理論では、Yang等により非アーベル的対称性のゲージ理論がつくられた。ゲージ理論の重要性は次第に明らかになる。

 大きな成果を生みだしたのは1960年の南部の自発的対称性の破れである。厳密に成り立つと思われる対称性が壊れてしまうというので呆気にとられたが、よく考えるとこの現象は身近に起こっているのであった。3次元等方な空間内にいる我々の世界が等方でない形を保っているのは南部の機構のお陰である。この理論は見事な応用を生み出した。クォークとレプトンに非アーベル的ゲージ場を結合させ、ヒッグス場というスカラー場を混ぜる。ここに対称性の破れを起こさせると、ゲージ場は質量ゼロの電磁場と、質量を持った弱い相互作用の場に分裂する。 南部理論の演習問題のようにスムーズにいく。こうして電磁気と弱い相互作用が統一的に理解できた。

 強い相互作用の理論、クォークの色に強い相互作用のグルオンを結合させた量子色力学(QCD)もほぼ固まった。QCDは繰り込み可能で、エネルギーが高くなると結合が弱くなるという性質を持つので摂動計算ができる。低エネルギー赤外部では逆に結合が大ききなるので始末が悪い。スーパー状態の真空、クォーク閉じこめを扱う試みがなされたが、結局は計算機に任せることになってしまった。

 3世代のクォーク・レプトンの電磁弱理論とQCDを組み合わせたものが標準理論である。標準理論はこれまでの素粒子物理の総括である。得られた知識をすべて料理し、万事説明できるようになっている。強い相互作用は電磁弱場とは無関係に導入されてしまったが、これも統一的に理解しようとする試みはまだ成功していない。

 超対称性についても触れるべきかも知れない。回転群は角運動量を生成演算子とするリー代数であるが、スピノル量の演算子を加えて交換関係、反交換関係を含む超代数に拡張することが出来る。ローレンツ群も同様に拡張でき、これが超対称性である。数学上の可能性としては面白いが、物理が超対称であるという証拠は見出されない。 

          §4.世紀末の高エネルギー物理

 標準理論が提案され、登場する粒子のうち弱相互作用の中間子W、Zはほぼ予想通りに見つかった。最後のクォークtには手こずったが、1998年には確認されたことになった。ヒッグス粒子が残っている。これの質量如何では理論に影響が及ぶが、20世紀中には見つからなかった。

 標準理論はうまくできていて、これを越えることが出来ない。これからはみ出す粒子は見つからないし、標準理論に決定的に矛盾する現象は観測されていない。理論で、QCDの赤外部分は紙と鉛筆ではどうにもならなかった。あとは計算機にやらせるほかない。格子ゲージ理論は無限大を生じないので計算機が答えを出せる。岩崎洋一らつくばのグループの、専用並列計算機を開発しての精力的な計算は満足すべき結果を出している。少なくともQCDが駄目と言うことにはなっていない。この研究は実験でもなく理論でもない計算物理を拓くものとして評価される。

 加速器は次々とより高エネルギーのものが作られてきたのだが、SSC(Superconducting Super Collider)計画は挫折してしまった。建設費が高額であり、高エネルギー物理があまり実用にならないことがわかってしまったからである。

 最高エネルギー領域であまりぱっとしたことのないとき、気を吐いたのはニュートリノ実験である。この時期の主役素粒子と言うべきであろう。クォーク、レプトンのうちでニュートリノは最もわかっていないものである。第一、質量が正確にわかっていない。小さい質量(質量差)があるならば、三種のニュートリノは混合し、他の世代のものへ行ったり来たりするはずである。この理論的予想に基づき、ニュートリノ振動を観測する実験が東大宇宙線研究所の神岡の装置で行われた。大気中で作られたニュートリノについて初めて振動が発見された。太陽から飛んでくるものについては他グループの結果とを総合して振動の詳細がわかった。これらから3つのニュートリノには質量差があると結論された。

 小林・増川機構の解明も前進している。高エネルギー研のグル−プは所内の加速器でB中間子の崩壊を調べ、ここでもCP不変(−不変)が壊れていることを確かめた。

 理論はひも全盛である。点 x の関数である場の理論では片づかないと、点でなくひもの汎関数を扱う。一次元のひもでなく、2次元の膜、あるいは任意次元のものを考えてもよい。これに超対称性を課し、重力理論も解決しようとの計画が超弦理論である。いろいろと結果は得られているが、まだ実験と比較できる素粒子物理にはなっていない。

           §5.素粒子物理の将来

 これから素粒子物理はどのように進むか、の予想であるが、当然、クォーク、レプトンの物理が課題である。標準模型により役者の名前はわかったが、その正体は不明と言うべきである。とくにニュートリノがわからない。以前はニュートリノは質量ゼロの簡単な粒子と思われたが、ニュートリノ振動から、微小な質量らしきものを持つことになった。これをディラック方程式に従う粒子として良いのか、一筋縄ではいかないか、解明されるべき問題の第1である。

 これらの粒子の相互作用のうち、電磁弱理論は納得いく形で導入されたが、その構造が完全にわかったわけではない。一方強い相互作用の色力学(QCD)は仲間はずれになってしまった。これらは当然統一して理解されるであろう。重力も加えて大統一するのが究極の目的だが、これは遠い将来、別の段階で達成されるであろう。

 クォーク、レプトンの質量は大きな問題である。3世代12個の、色違いを別種とすれば24個のクォーク・レプトンがすべて「素」とは考えられない。質量は第1世代から第2、第3と進むにしたがって次第に重くなる。何かの規則に従っているはずであり、それを突き止めて、すべての質量を計算すべきである。ミューオン質量は電子の207倍であるが、なぜか。207は微細構造定数1/137の逆数の3/2倍であるが、それは意味がある等式か(多分ないであろう)。これは半世紀前ミューオンが発見されて以来の疑問であったが、この段階で解明されるであろう。

 これらの問題解決のためにはクォーク、レプトンの構造に踏み込まなければならない。目下のところそれらが構造を持つという直接的証拠はないが、クォーク、レプトンの複合性の根拠としてそれらが変化することが挙げられる。クォーク、レプトンは W± を出し入れして他のものに変わる。変化するものは「素」ではない、変化するものの中には不変な「素」が入っている、というのは今まで成功してきた原理である。

 クォーク、レプトンの大きさ、広がりは、まだ実験的に測られていない。電子の磁気モーメントの実験値とQEDによる計算値とは誤差範囲内で一致し、電子に広がりを持たせる余地はない。広がっているならばその大きさはam(10 -18 m)以下である。クォークも点電荷からのずれ、たとえば異常磁気モーメントなどは認められない。本当に彼らは点(あるいは極めて小さい)なのか、ある程度大きく広がっているか。

 大きさについての推測を試みる。は自然界の階層構造である。私たちは自然界を、あるものはより細かい構成子で出来ているという見方で階層に分けて理解してきた。およそ6桁下がって次の階層に至る。これは自然界がそうなっていると言うより、人間がそのような見方をしてきたと言うべきであろう。10-5 mの細胞は生命物理では決定的な「a-tom」であるが、無機物理はこれはバイパスする。図を眺めてクォーク・レプトン階層では大きさは10 -20 m程度ではないかと思われる。これは全くの予想だが、もし正しければ現段階からあと二桁か三桁で新階層に到達出来る。理論も実験も頑張りたい。

 以上は素粒子物理あるいは高エネルギー物理の話であるが、クォーク・レプトンは他分野に進出する。原子核理論あるいは中間エネルギー物理はハドロン階層の物理と考えられ、原子核は核子等ハドロンで出来ているとされた。今はそれでは済まない。精確には原子核はクォークで出来ているとするべきである。実際重イオン衝突の際はハドロンでなくクォーク物質が創られることも考えられている。更に、更に大きな多体問題で重力が効くようになったものが宇宙物理である。現在のところ目に見える天体でクォーク物質で出来ているものはないようであるが、宇宙開闢の際はクォークの段階を経て原子核、原子分子生成へと進んだと思われる。クォーク物理の格好の応用問題となるかも知れない。

 このようにやるべき事はいっぱいある。それをどのような理論で、あるいは実験で料理すべきか、を考えてみたい。

             §6.理論形式の将来

 素粒子論の展開には場の理論が用いられてきた。しかし現在の相対論的場の量子論は無限大の困難を伴い、完全なものではない。繰り込み法を用いるとかなりの発散を除くことが出来るが、重力論、フェルミオン同士の相互作用などは繰り込めないので、今の場の理論は不完全と言わざるを得ない。

 相互作用を広げれば発散は生じないが、空間的に広がった相互作用は相対性原理と相容れない。相対論的不変な形に広げると幽霊のような粒子が現れて意味のある散乱行列が得られない。信号が光速度より速くは伝わらないと言う因果律を条件とすると、相互作用は局所的なものに限られ、広がりを入れる余地はないのである。それならばと相対性原理に手を入れるのは極めて難しい。4次元時空構造を変える試みは多分成功しないであろう。

 クーク・レプトン階層の物理は完全に相対論的であり、非相対性理論は役に立たないので、今の場の量子論では手に負えない。どうなるだろうか。を再び眺めると、階層が大きく変わると別の理論形式が用いられることに気づく。ニュートン力学は惑星運動のために開発されたものだが、その先宇宙に行くには一般相対論が必要であった。地上の現象は古典物理でよいが、原子・分子階層では量子力学である。その下の階層ではそれにふさわしい新しい理論形態が開発され、用いられるのではないだろうか。

 どのような理論形態かは出来上がってみなければわからないが、一つの考え方を述べてみる。今の場の量子論の何処が悪いのか。それは「場」の理論でないからである。場 ψ(x, t) を量子化するのに、時間を独立変数とし、空間座標 xは自由度を表すパラメタとする。つまりやっているのは場の理論ではなく、無限自由度の量子力学なのである。古典場は無限個の質点の集合と言っても良い。しかしこの無限和は絶対収束でないので、その量子論は場の量子論とはならない。収束どころか発散している。

 量子力学は、時刻における状態の時間的発展を追うのであって、4次元ミンコフスキー空間の物理になっていない。3次元空間の各点に時刻を与える超多時間形式で、ローレンツ不変の形に書くことは出来るが、内容は変わっていない。独立変数は1個(時間)で自由度が無限大である。真の相対論的場の量子論は独立変数が4個(時間、空間)、自由度は1(あるいは少数)といった形のものではないだろうか。そのような有限な量だけを扱う明快な新理論が完成して、クォーク・レプトンの物理が大発展するだろう。当然、相対論的束縛問題も解決し、原子核はクォークの結合状態として完全にわかったものになる。

 「場」の理論で良いかは自明ではない。場の量子論は量子の多体問題を扱うもので、原子をZ個の電子の束縛状態とした理論は完全に成功し、原子核はA個の核子の結合状態とするのはかなり良い線を行っている。しかし粒子の構造を、更に小さい粒子(場の量子)の結合状態として理解する方法が、つぎの階層でも有効とは限らない。

 これに代わるべきものとして「ひも」理論がある。しかしひも、膜等は自由度が極端に多く、複雑である。有限個のクォーク・レプトンに用いるのは牛刀の感がある。また、かなりの大きさに広がっていると、因果律などの基本原理に反し意味のある答えが得られない恐れがある。広がりが一般相対性理論、重力が問題になるプランク長程度なら排斥できない。一部の予想では、場の理論の困難も、素粒子の構造も、すべてプランク長の階層で解決されると言われる。これが正しいのかも知れない。もしそうならば、ハドロンの下20桁ほど何も構造がないことになり、素粒子物理は荒涼とした難しい学問になってしまう。そうでなく変化に富んだ活気あるものであることを祈る。

 超対称について言えば、これは空間の本質的対称性ではないのではないか。超対称は基本表現すなわち基本素粒子にフェルミ粒子とボーズ粒子が混在することを意味する。これは基本素粒子はごく少数であるべしと言う原則に反する。願わくば究極はフェルミ粒子だけであってほしい。超対称はE. Wignerの超多重項のような作られた対称性であろう。

          §7.高エネルギー実験の将来。

 高エネルギー物理を引っ張ってきたのは加速器である。出せるエネルギーは10年で一桁あがると言われたものである。しかしこれがどこまでも続くわけには行かない。莫大な経費をまかなうべき人類の総生産はそれほど増加していないのだから、どこかで行き詰まってしまう。SSCの失敗がこれである。現行の方式、すなわちマクロの装置でマクロの電界でミクロの粒子を加速するのはもう限界ではないか。画期的な新機構が発明され、エネルギーが飛躍的に増大するのを期待する。

 勿論、画期的発明を座して待つことはない。大強度のビーム(これも金のかかることだが)で丁寧な精確な実験をやる。精度が上がるのはエネルギーを上げるのと同じ効果がある。電子磁気モーメントの10桁精度の値が、am, TeVの世界まで踏み込んでいるのは印象的である。新場の理論が完成すれば、ハドロン、クォーク・レプトン物理で同様のことが出来、加速器なしで高エネルギー領域に到達できる。また、丁寧な実験は精度向上だけでなく、希な思いがけない現象を発見することがある。

 将来原子核物理は素粒子物理と区別が付かなくなるだろう。重イオンの衝突は複雑だけれども面白い情報を提供するだろう。宇宙からの信号も有効に用いられるだろう。いままでも、高エネルギー物理と言っても、最高エネルギー加速器以外の実験も大いに活躍したのであった。

              §8.あとがき

 高エネルギー物理は標準理論に到り、一応の段落が着いたというべきである。今世紀は装いを新たにしてつぎの階層の解明に進む、と言う予想である。一世紀前のことが頭に浮かぶ。原子、分子階層の事情がかなり明らかになったが、理論的解明が出来ず、閉塞感があったはずである。それが、量子力学の発明で一挙に爆発したのであった。

 量子力学の出現は劇的であった。De Broglie の「電子は波である」という一言で、長年の懸案が一挙に解決した。彼が歴史学専攻から転向したのであることは意味深長である。当時の物理専門屋はこのような発想が出来なかったのだ。今日高エネルギー物理を志す若い学徒はこのことを肝に銘じ、常に柔軟な発想を心がけるべきである。勿論、四六時中柔軟な発想ではいけない。場の理論なり、膜理論なりは着実に勉強し、平行して奇想天外なことも考えるのである。De Broglie と並んで W. Heisenberg は当時の正統理論の延長として曲がりなりにも量子力学に到達したのであった。

 高エネルギー物理の将来について悲観的見方もあり得る。高エネルギー物理全盛の時代は終わった、つぎは複雑系の物理、生命現象などが幅を利かす、と言うのである。たしかに生命物理は面白い重要な問題である。高エネルギー物理屋も本業と平行して積極的に発言するべきである。しかし他分野の物理が発展しても、物質の究極追求の最前線は常に存在するのであり、高エネルギー物理が衰退するとは思えない。

 前世紀前半高エネルギー物理(当時は核物理と呼ばれていた)は核エネルギーを解放すという人類にとって重大な業績を成し遂げた。今世紀も同様なことが出来るか。クォークレベルで核子は崩壊するから、これを制御しつつ起こさせればエネルギーを取り出せる。すべての物質が燃料なのだから、エネルギーは水、空気同様ただになってしまう。もっとも、地上には核融合エネルギーが有り余るほどあるので、核子崩壊炉の出番は当分ないであろう。

 以上いろいろと個人的予想を述べてきたが、始めに述べたように予想は当たるものではなく、全く思いがけない事態が起こるだろう。この予想も当たらないか?